宇宙からの降雨観測

2011年 09月 03日 17:00

(記:岡本 謙一)



初めて外国に行ったのは、意外と遅く32歳のときであった。今は国が無くなってしまったユー ゴスラビアのドブロブニク市で1978年に開催された第29回国際宇宙連盟の総会で、「宇宙からの降雨観測用の降雨レーダのシステム提案」について発表す るために出張したのだった。ドブロブニク市は、アドリア海の真珠といわれるとおり、美しい中世の城砦都市で、現在はクロアチアに属する。その後震災の被害を受けたと聞くが、現在は、復興しまた美しい町に戻ったと聞いている。

昨年9月に、ルーマニアのトランシルバニア地方のシビウ市で開催された第6回欧州レーダ気象学と水文学会議に参加した。シビウ市もイスラム教徒との激戦の遺跡を残す中世ヨーロッパの古い町で、図1に示すような屋根に目がある家が特徴的な落ち着いた町並みを持った素敵な町であった。ここでも、「宇宙機搭載の レーダとマイクロ波放射計複合システムによる降雨観測」、ならびに「TRMM(熱帯降雨観測衛星)の現状とTRMM降雨レーダアルゴリズム」について発表 した。



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図1 ルーマニア シビウの町並み

思うに、降雨レーダ以外のことについてもこれまで研究を続けてきたが、30年以上、衛星からの降雨のリモートセンシングの研究を主要な研究テーマとして選び、現在に至るまでも同分野で研究を続け、学生の卒論のテーマにも熱帯降雨観測衛星(TRMM)のデータ解析をいまだに選んでいるというようなことになってしまった。最近、はやりの司馬遼太郎氏の坂の上の雲の主人公の一人の「秋山好古」氏は、人間は一生に一事を成せば十分と言っておられるので、なんとなく慰められるが、TRMM衛星を中心とした衛星からのレーダを用いた降雨のリモートセンシングとそのアルゴリズムならびにそれに関する全地球の降雨マップ作成の研究で一生を終わりそうである。
 

TRMM衛星は、1997年11月28日に、わが国のH-II 6号機で打ち上げられた日米共同の熱帯降雨を観測する目的の人工衛星で、世界で初めて、衛星に降雨レーダが搭載された。この降雨レーダは、わが国の宇宙関連企業(東芝、NEC)、当時の郵政省通信総合研究所、宇宙開発事業団の技術陣が総力をあげて開発したものであり、私は、構想の段階、概念設計、重要部品 の試作の段階において、通信総合研究所でリーダーの役割を果たすことができ幸いであった。TRMM降雨レーダは、2009年6月にトラブルがあったが、その後回復し、現在に到るまでも14年近く正常に動作し、データを取り続けている。その概観図を図2に示す。一番下の四角い大きなセンサが降雨レーダである。TRMM衛星は、日米共同で開発された地球環境を観測するための衛星であり、地球的規模の気候変動に重要な影響を及ぼし、エルニーニョ、ラニーニャなどの異常気象と関係の深い熱帯降雨を観測することを目的としている。
昨年度の卒論の一つで、TRMMの軌道高度変更後の2001年8月から2010年2月までの期間において、TRMM降雨レーダが観測した北緯40度~南緯40度の範囲における全地球、海上、陸上、その他の地域(沿岸など海と 陸を含む地域)における月平均降雨量のトレンドを調査した。用いたのは、TRMM降雨データの緯度×経度が5°×5°のセルの月平均降雨量である。

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図2 TRMM(熱帯降雨観測)衛星概観図(図面提供 JAXA/NICT)

図3に昨年度の卒論から引用した全地球(北緯40度~南緯40度)における月平均降雨量の月別の変化を示す。5°×5°の合計1152 個のセルの月平均降雨量を示したものである。図の横軸は年月、縦軸は月平均降雨量(mm/month)、図中の直線は、各月の平均降雨量のトレンドを近似する回帰直線である。回帰直線の傾きから、全球において、月平均降雨量は増加傾向にあるように思われる。この傾向は、特に陸上において顕著であった。地球の温暖化との関係を議論するのは早計であるが、引き続き、今年の卒論で研究を続けている。

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図3 TRMM 降雨レーダを用いた全地球における月平均降雨量のトレンド 

衛星計画は、水物であることは否めない。早い話がロケットの打ち上げが失敗すると、衛星は軌道に投入できず、ミッションは達成されない。降雨レーダの基礎研 究、衛星の構想から開発、打ち上げまでの間、TRMM衛星は約20年かかっている。TRMMは、うまく打ち上げられ、予定のミッション期間の3年2ヶ月を 遥かに超えた現在もデータを取り続けているのは、非常に稀な幸運なケースと言えよう。
通常の衛星はもう少し短期間で開発されるかもしれないが10年以上の準備期間が必要である。その長い歳月の努力がロケットの打ち上げで一瞬にしてフイになることもあるのである。近い例では、我が国初の金星探査機 「あかつき」が2010年5月21日早朝、種子島から打ち上げられ金星を目指した。同年12月7日に金星に最接近したが、残念ながら金星をめぐる軌道への投入は失敗に終わった。2015年11月に金星に再会合させることが計画されているが、これまでの関係者の努力を思うと同情に耐えない。
世の中は、成功例として、幾多の困難を克服して小惑星イトカワまで到着し、イトカワの砂のサンプルを回収した「はやぶさ」の快挙をこぞって賞賛している。勿論こ れは、立派な世界に誇るオリジナリティのある業績であることは間違いない。しかし、成功は、多くのそれ以前の失敗の教訓の上に成立していることも忘れてはならないと思う。
失敗と成功は、結果からみれば、雲泥の差があるかもしれないが、払った努力の多寡に変りはないと思う。先において結果に大きな差が出ることは致し方がないことであり、自分がすべきことは、今現在において最善を尽くすことだけだと何時も思っている。

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